借金整理の実話|RCCとの長期交渉で保証人免責を勝ち取った体験談

lighted kerosene lantern - 借金返済の記録

長い交渉だった。

足掛け8年に及ぶ交渉の結果、ある一人の保証人に対して債権者から「保証人は保証の責任を負わない」との一文をとることに成功した。

債権者、即ち交渉の相手は「整理回収機構:RCC」だ。(今後はRCCと記載)

その保証人が保証していた金額は、2千万円。

総額14億円の借金から見れば大した金額ではないと思うかもしれないが、借金の当事者ではないし、詳しい事情も知らせぬまま保証人にしてしまったのだ。

全責任は私にある。
自分が保証人となっている約14億円よりも、その2千万円の方がはるかに重い存在だった。

2千万円の保証人を巡る、約8年にも及ぶ交渉結果をまとめました。
この記録を読むと、きっとあなたの人生に役立つことを発見できるはずだ。

乞うご期待!

14億円の借金よりも重かった2千万円の保証。RCCとの8年に及ぶ執念の交渉記録

long table with Eiffel chair inside room

きっかけはS信用組合からの申し出だった。

「黙っていても展望が開けない。攻めることも必要だ。社長、2千万円融資しますから、何か新規に始めてください。」

「ありがとうございます」

「ただし、あなたの会社宛では稟議が通らない。休眠状態の子会社がありますね、それにどなたか別な人を社長に立ててください」

私はこの話に飛びついた。

社長は、ある若い人にお願いした。
すぐに印鑑証明書が届き、実印も預けてくれたのだ。

2週間ほどして融資は実行されたが、当時のシステムでは借入した会社社長の債務保証が必須だった。

こうして、その人は自動的に2千万円の保証人となったのだ。

新規事業と言っても、そう簡単に行くものではない。

何もしないであれこれ思案しているうちに本体の会社維持で2千万円は、あっという間に底をついた。

このころから、S信用組合の経営悪化が表面化し、借金の催促が激しくなっていく。
処分できるゴルフ会員権はすべて処分し、社宅も処分した。

だが、それらは本体の借金担保になっている。2千万の返済までは全く手が回らない。

私はS信用組合の幹部に何度も掛け合った。
「あの、二千万の保証人だけは降ろしてほしい。私が代わりになりますから」

だが返事は決まっていた。
「保証人は増やすことはできるが、取り消すことはできない。」

「社長が元気なうちは、あちらの保証人に請求が行くことはありません」とも言われた。

だが、私は心配だった。

「若い保証人の将来に悪い影響を及ぼしのではないか、日常生活に影を落とすようなことが起きたらどうしよう。」

そんな願いも虚しく信用組合は経営破綻し、債権は一括でRCCに売られてしまった。

二千万円の保証人取り消し交渉舞台はRCCへと移る

S信用組合からの借金残債は、そっくりそのままRCCへと移った。

早速、RCCから呼び出しがかかる。
10人掛けくらいの大きなテーブルが二つ並ぶ、窓のない細長い部屋に通された。

相手は三人、こちらは一人だった。

名刺交換をし簡単な挨拶が終わるや否や、RCC側の真ん中に座った男が言い放った。
「社長、借金を一銭も返せないようなら、家へいって布団でもしっぺ返して売り飛ばしますよ」

私は間髪を入れずに答えた。
「なんだ、その言い方は。こっちはお前のようなごろつきから金を借りたわけじゃない。やれるものならやってみろ」

部屋は一瞬にして静まり返った。だが、沈黙は続かなかった。
右端にいた、いかにも金融マン然とした男が言う。

「社長、今日のところはどうぞお引き取り下さい。次回の会合についてはこちらから連絡させていただきますから、よろしくお願いします」

私はすぐには席を立たなかった。さっき暴力団紛いの脅し文句を吐いた男は口を半開きにして、何とも表現しがたい顔つきで私を見ている。

金融マン然とした男が再び口を開く。
「社長どうぞ、ご案内いたします」

さっと席を立ちながら、私を促した。

テーブルの横をすり抜けて部屋の出入り口付近まで行くと、彼は私の前に出てドアを開いた。
エレベーターまで送ってきたのは、三人だったか二人だったかは覚えていない。

だが、件の金融マン然とした男はほぼ無言であったが、最後まで私の傍を離れなかったことだけは、しっかりと記憶に残っている。

それから十日ほども過ぎたころだろうか、RCCから連絡があり二度目の面談の日が決まった。

RCCはエレベータを降りるとすぐに頑丈そうな扉がある。そこでインターホンを押して会社名と個人名を告げる。

やがて担当者が現れ、内側から鍵の外れる音が聞こえて初めて頑丈なドアが開くのだ。外側からは開けないようになっている。

今回の相手は二人だった。
年長の男の名刺には、課長の肩書がある。

テーブルに着くと、課長が実に丁寧に説明を始めた。

この部屋にたどり着くまで、どうして三ヶ所もセキュリティがあるのか。
客がたとえ一人であっても、社内規定で必ず複数人で対応するように定められいている。

などなどから始まって、RCCのあるべき姿や存在理由などにまで話は及んだ。
私は黙って聴いていたが、実に誠実な男だ。

彼の説明が終わり、こちらの現状について説明を求められた。
私は会社のおかれた状況や個人的な事情を話した。

若い方の男は終始無言だった。
事業が上向くまでは、毎月1万円でもいいから入金して欲しいと乞われ、私は了承する。

話し合いが終わる寸前、私は二千万円の保証人の件を切り出した。

これまでの経緯を説明して、保証人を自分と差し替えて欲しいと懇願した。
だが、答えは信用組合と同じだった。

「保証人は増やすことはできますが、降ろしたり取り消すことはできません」

それから、ほぼひと月に一度の割合で呼び出しがあった。
私はできる限り、面談に応じた。

会うたびに、必ず保証人についてお願いした。
相手からの返事は毎回、同じことの繰り返しだ。

いつしか、そのことは儀式のようななっていた。

もう一人の担当者はコロコロ変わったが、何年たっても不思議なほど課長だけは担当から外れなかった。

「2千万円の保証人の件、何とかお願いします」

「お気持ちはよくわかります。社長がこうして面談に応じてくれる間は、決して保証人へ請求や連絡がいくことはありません。それだけは約束します」

この繰り返しは、飽くことなく続いた。

それからどれほどの面談を繰り返したことだろう。
課長の口調は明らかに変化していた。

「二千万円の保証人につて、降ろさないまでも、何かいい方法がないか考えてみますよ。」

部下の前で、堂々と言ってくれるようになったのだ。
私はこの誠実な男の変化に、少なからず期待を持つようになっていた。

そんなある日のことだった。
携帯が鳴る。RCCの課長からだ。

「明日必ず来てください。いいですか必ずですよ。あなたにとって悪い話ではありません。印鑑を忘れずに」

そう言って電話は切れた。いつもとは違うトーンだ。押し殺したような言い方だったが、静かな迫力がある。

インターホーンで名前を告げて待っていると、課長が現れる。今回は一人だ。

席へ着くと彼は改めて名刺を差し出した。そこには部長の肩書が付いている。昇進したのだ。

「○○さん、よく頑張りましたね。私もあなたの熱意には感心していましたよ。何とか懸案を解決してあげたいと思っていたのですが、ようやくチャンスが来ました。」

そう言いながら部長は、二通の書類をテーブルに置いた。
作り直した約定書だ。

第一条からサーっと読み始めて、少ししてから彼は言う。
「いいですか、ここですココ!」

私の目の前で指さしながら、読んだ。

そこには「二千万円について保証人が返済責任を問われることはない」というような文言が書かれている。

二通の書類に印鑑を押すよう促される。私は力を込めてハンコを押した。

「私は来週早々に転勤します。西へ行きます。これ以上は聞かないでください。これが最後のチャンスだったのです。いいですか、その書類は必ず保管していてください。」

「本当にお世話になりました」私は心を込めて頭を下げた。

それから、少しだけ世間話をして席を立った。

エレベータホールで部長は言った。
「もうお会いするこてはないでしょう。元気にがばってください」

エレベータが来た。エレベータに乗って、私は深々とお礼をした。ドアが閉まってからも、しばらく頭を下げ続けた。

こみ上げるものがあって、頭を上げることができなかったのだ。

私は、RCCが入っている高層ビルと直結した中野坂上駅から地下鉄丸の内線に乗り、都心方面に向かった。

知人の弁護士に、さっきRCCと交わしたばかりの書類を見せた。
「これはうまくやったね」、弁護士はそう言いながら笑顔をつくった。

私が14億円の借金について弁護士に相談したのは、この一度だけだ。

信用組合からRCCへと続いた「二千万円の保証人取り下げ交渉」は、8年目に入っていた。、



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