14億円の借金地獄から脱出した男、北海道へ帰る
これは本当の話です。
14億円の借金地獄から脱出できた事実をできる限り正直に、そしてリアルにお伝えします。
あなたの人生に少しでもお役に立てたなら、これ以上の幸いはありません。
以下に筆者の略歴を記しておきます。

・北海道生まれ。
・大学進学を目指し、高校卒業の翌年上京。
・新聞配達で学費及び生活費を稼ぎ、大学生活を送る。
・29歳で起業。
・事業は順調に伸び、昭和60年代に入ると毎年倍々ゲームの売れ上げ増を記録。
・バブル景気に乗って平成1年(1989年)度の売上は90億円を突破し、頂点へ。
・平成3年(1991年)、バブル景気の崩壊で売り上げが激減。
負債は14億円に達する。
・平成5年(1993年)、このころから巨額負債への対応に追われ、会社経営は二の次になる。
・平成9年(1997年)11月、三洋証券、拓殖銀行、山一證券が相次いで経営破綻。
これにより金融機関の対応がガラリと変って、債権者との熾烈な戦いが始まる。
・平成11年(1999年)2月1日、サービサー法が施行される。
この結果、抱えていた負債のうち約5億円が住宅金融債権管理機構(現在の整理回収機構:RCC)に売却される。
・平成17年12月、大手出版社の子会社へ契約社員として勤務。
ゴルフ場の経営者などへインタビューし、記事にまとめ月刊誌に掲載することが主な業務。
このころには、整理回収機構など大口債権者との交渉がほぼまとまり、督促はまったくなくなっていた。
出版社への入社にあたり、興信所の身辺調査が入る。主な調査は借金額。徹底的に調べられた結果、残債は300万円を切っていた。
◎なぜ興信所の調査結果が分かったかについては、いずれ本記事「借金返済の記録」に書きます。
・その後、北海道へUターン。現在に至る。
借金を抱えていた当時の心境やエピソードは、本記事で内で明らかにしていきます。
どうぞカテゴリー「借金返済の記録」にて、ご確認ください。

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